2008 |
02,15 |
«癌と告知»
初七日を過ぎて、少し落ち着いたので浮上です。
先週、身内で不幸がありました。
母方の伯母(伯父の奥さん)だったんですが、母とは同い年ということもあって、まだ若いのに・・・と哀しい気持ちと悔しい気持ちが入り混じったような感じです。
・・・癌とか、告知とか、そういったことについて書くつもりですが、少し生々しい(?)というか、重い話になると思うので、以下の[つづき]に書きますね。
ちょっと長々となるかもしれません。
あ、連休がほぼ丸々潰れたこともあって、結局今月もサークル出せませんでした;〆切前(連休)に書こう、じゃなくて、もっと早くから書き始めてたら出せたかもしれないのに・・・。
早くから始めておくべき、といつも思ってるわりに、学習してないなぁ(苦笑)
伯母は肺癌でした。
2年ほど前に癌だと診断されたものの、最初の検査が不十分だったようで既にかなり進行していたらしく。治療を続けていたんですが、去年の初冬頃に、年は越せないかもしれない、と告げられて。
自宅療養で何とか年は越せたものの、年明けに再入院。痛み止めが効かなくなってきて、モルヒネ投与が始まった直後に・・・、といった経緯でした。
・・・伯母には、〝あとどれくらい生きられるか〟ということは話してませんでした。
悪化していく症状・痛みに、自分は長くはもたない、と自身で感じていたのか、それともそういったことは全く感じておらず、このまま治療を続けていれば良くなるだろう、と思っていたのか。実際に伯母が自分の状態についてどう感じ取っていたのかは、誰も分かりません。
また、寿命について本人にハッキリ告げるのが良かったのか、今回のように話さないことが良かったのか。どちらを選択すべきかも難しいことだと思うんです。
言ってしまえば、私の立場は〝他人〟です。姻族であることから、そういった告知に関しても、客観的に見て・感じていました。例えば、もう長くないと告げれば、今後の生活の選択肢も増えるのに・・・とか。
苦しんで、痛みに耐えて、それでも回復の見込みがないというなら、苦痛を和らげて残りの時間を充実させて生きていく・・・。そんな、自宅でのターミナルケアや、ホスピスを利用することも選択肢の1つ。でもそれを利用するためには、生きられる時間がもう少ないのだと、本人に教えなければならない。
本当、難しいです。
あの時ああしとけば・言っとけば良かったかもと、過ぎたことを言っても仕方ないんですが、私自身はもちろん、家族だって無関係だとは言い切れない。〝もし〟なんて起こってほしくないけれど、自身がその当事者になってしまったら、どうしたいと思うんだろう・・・なんて考えます。
それに、3年前に亡くなった父方の伯母も、癌でした。死因第1位は男女とも癌であるわけで、やっぱり思っている以上に身近なものなのかな、と思わずにはいられないというか。
なんか、ダラダラと書いてしまいました・・・。文章とかおかしいところがあったらすみません、思ってることをあまり考えずに書いてるので;
あと、昨晩から喉がおかしくて、朝起きたら微熱・・・。頭もしっかり働いてない気がします。誤字脱字等あれば、「あぁ頭働いてないな」とでも思って下さい(苦笑)。